「セカチュー」の原作の舞台を歩く
おめでとうございます。
ニコ
です。
さてタイトルの「セカチュー」って何?と思った人
正しい反応ですね。
宇和島市出身の片山恭一氏著「世界の中心で、愛をさけぶ」の通称
映画化、そしてテレビドラマ化され
発行部数は実に300万部を超え「セカチューブーム」として社会現象にもなった
まさに(いろんな意味で)奇跡の小説といえるでしょう。
映画化されたのが2004年ということでブームから10年が経過し
何故に今更?
⇒A.年末年始が暇でたまたま自宅の本棚にあった小説を読み返してみたから。
何故に新年に?
⇒A.私が暇人で他にすることがなかったから。
前置きが長くなりましたが小説片手に早速歩いてみますか。
「四階にある病室の窓から街を眺めていた。~それらの街並みの向こうに城山が見えた。新緑の木々のあいだから、白い天守閣がわずかに顔を覗かせている。」(P.6:単行本)
小説の時代設定は1980年代
市立宇和島病院は立て替えられています。
そして天守閣も立て替えられ…っているわけはないですね。

大事なことを言い忘れていました。
著者片山恭一氏は当初、小説の舞台を明らかにしていませんでしたが
2004年8月1日付け愛媛新聞への寄稿で
「小説の舞台は、ぼくの郷里である宇和島をモデルにしている…」と明言しています。
つまり「純愛の聖地」はここ宇和島市だということです。
「城山の登り口は北側と南側に二箇所ある。ぼくたちが登りはじめたのは南側だった。~途中に公園があり、そこで二つの登山道が合流するようになっている。」(P.9)


この描写はかなり正確ですね。
今回、小説と同じく南側の登城口から登ってみました。
高校時代補習授業をサボリ友人と城山に登った事を思い出しました。
先生スミマセンでした。
「ぼくの家は市立図書館の敷地内にある。本館に隣接した二階建ての白い洋館は、ほとんど鹿鳴館か大正デモクラシーかという代物だ。」(P.11)

朔太郎とアキが一緒に勉強した市立図書館も80年代のものとは異なると思われます。

図書館に隣接してはいませんが「宇和島市立歴史資料館」が朔太郎の家のモデルとされています。
「正門を出たときは夕方近くになっていた。ぼくたちは黙って大名庭園の方へ歩いていった。途中にグラウンドと歴史博物館がある。城下町という名前の喫茶店もある。」(P.38)



「正門」は宇和島東高校の正門。「大名庭園」とは天赦園。「歴史博物館」とは伊達博物館。グラウンドも存在する。そして驚くべきことに「城下町」という喫茶店も描写どおりに存在する。
「その人のお墓は街の東の外れ、藩主の奥方を祀った寺にあった。~このあたりは山の手にあたり、夏の渇水時には最初に水道が止まる一帯だ。」(P.41)
「こうちゃんたかちゃん」が詣でた金剛山大隆寺が「その寺」です。
「二人の家から、ほぼ同じ距離のところに神社がある。~長い石段が小高い山の中腹までつづいている。石段を登りきったところに社があり、そこから東の方角に一本の細い道が見える。道は住宅地のなかを国道まで伸びている。警察署の前の信号を渡り、少し奥へ引っ込んだところがアキの家だ。」(P.52)
「神社」とは三島神社
新年だけあって参拝者が次々やってきます。
「アキはやや前かがみに自転車を漕いでくる。東側の登り口に自転車をとめると、ぼくが登ってきたのとは別の細い石段を、小走りに駆けてくる。」(P.52)
この描写もかなり正確ですね。
アキはこちらの石段を登り朔太郎に会いに来る。

このとき宇和島南中等教育学校の野球部の皆さんがランニングと必勝祈願をかねて三島神社にやって来てました。
ガムバレ!
アキの誕生日である12月17日に2人は病院を抜け出しオーストラリアへ向かおうとした時に使った駅が宇和島駅です。

この駅舎も80年代とは大きく様変わりしてますね。
「「僕が卒業した中学」」(P.203)
最終章でアキの灰を桜吹雪とともに飛ばした場所
小説の中では正確な描写は無いのですが、おそらくここ「城東中学校」で間違いないと思います。
新校舎が出来つつあります。
我ながら新年早々何やってんだか…
記述がフィクションと現実の世界とがゴチャゴチャになってますね。
個人的な思い入れにここまでお付き合いいただきありがとうございました。
ニコ
でした。
ニコ

さてタイトルの「セカチュー」って何?と思った人
正しい反応ですね。
宇和島市出身の片山恭一氏著「世界の中心で、愛をさけぶ」の通称
映画化、そしてテレビドラマ化され
発行部数は実に300万部を超え「セカチューブーム」として社会現象にもなった
まさに(いろんな意味で)奇跡の小説といえるでしょう。
映画化されたのが2004年ということでブームから10年が経過し
何故に今更?
⇒A.年末年始が暇でたまたま自宅の本棚にあった小説を読み返してみたから。
何故に新年に?
⇒A.私が暇人で他にすることがなかったから。
前置きが長くなりましたが小説片手に早速歩いてみますか。
「四階にある病室の窓から街を眺めていた。~それらの街並みの向こうに城山が見えた。新緑の木々のあいだから、白い天守閣がわずかに顔を覗かせている。」(P.6:単行本)

小説の時代設定は1980年代
市立宇和島病院は立て替えられています。
そして天守閣も立て替えられ…っているわけはないですね。

大事なことを言い忘れていました。
著者片山恭一氏は当初、小説の舞台を明らかにしていませんでしたが
2004年8月1日付け愛媛新聞への寄稿で
「小説の舞台は、ぼくの郷里である宇和島をモデルにしている…」と明言しています。
つまり「純愛の聖地」はここ宇和島市だということです。
「城山の登り口は北側と南側に二箇所ある。ぼくたちが登りはじめたのは南側だった。~途中に公園があり、そこで二つの登山道が合流するようになっている。」(P.9)



この描写はかなり正確ですね。
今回、小説と同じく南側の登城口から登ってみました。
高校時代補習授業をサボリ友人と城山に登った事を思い出しました。
先生スミマセンでした。
「ぼくの家は市立図書館の敷地内にある。本館に隣接した二階建ての白い洋館は、ほとんど鹿鳴館か大正デモクラシーかという代物だ。」(P.11)

朔太郎とアキが一緒に勉強した市立図書館も80年代のものとは異なると思われます。

図書館に隣接してはいませんが「宇和島市立歴史資料館」が朔太郎の家のモデルとされています。
「正門を出たときは夕方近くになっていた。ぼくたちは黙って大名庭園の方へ歩いていった。途中にグラウンドと歴史博物館がある。城下町という名前の喫茶店もある。」(P.38)



「正門」は宇和島東高校の正門。「大名庭園」とは天赦園。「歴史博物館」とは伊達博物館。グラウンドも存在する。そして驚くべきことに「城下町」という喫茶店も描写どおりに存在する。
「その人のお墓は街の東の外れ、藩主の奥方を祀った寺にあった。~このあたりは山の手にあたり、夏の渇水時には最初に水道が止まる一帯だ。」(P.41)

「こうちゃんたかちゃん」が詣でた金剛山大隆寺が「その寺」です。
「二人の家から、ほぼ同じ距離のところに神社がある。~長い石段が小高い山の中腹までつづいている。石段を登りきったところに社があり、そこから東の方角に一本の細い道が見える。道は住宅地のなかを国道まで伸びている。警察署の前の信号を渡り、少し奥へ引っ込んだところがアキの家だ。」(P.52)

「神社」とは三島神社
新年だけあって参拝者が次々やってきます。
「アキはやや前かがみに自転車を漕いでくる。東側の登り口に自転車をとめると、ぼくが登ってきたのとは別の細い石段を、小走りに駆けてくる。」(P.52)

この描写もかなり正確ですね。
アキはこちらの石段を登り朔太郎に会いに来る。

このとき宇和島南中等教育学校の野球部の皆さんがランニングと必勝祈願をかねて三島神社にやって来てました。
ガムバレ!
アキの誕生日である12月17日に2人は病院を抜け出しオーストラリアへ向かおうとした時に使った駅が宇和島駅です。

この駅舎も80年代とは大きく様変わりしてますね。
「「僕が卒業した中学」」(P.203)

最終章でアキの灰を桜吹雪とともに飛ばした場所
小説の中では正確な描写は無いのですが、おそらくここ「城東中学校」で間違いないと思います。
新校舎が出来つつあります。
我ながら新年早々何やってんだか…
記述がフィクションと現実の世界とがゴチャゴチャになってますね。
個人的な思い入れにここまでお付き合いいただきありがとうございました。
ニコ

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コメント
No title
コメントありがとうございます
まーきみさん
コメントありがとうございます。
そうですね。
私も今では「せめて歩くことだけでも」
というのが精一杯です。
「走ってみよう」とはチラとも考えません。
コメントありがとうございます。
そうですね。
私も今では「せめて歩くことだけでも」
というのが精一杯です。
「走ってみよう」とはチラとも考えません。
宜しくです。
あけましておめでとうございます。
いつもご訪問ありがとうございます。
「撮り歩きなんよ」は地域応援ブログではありませんが
今年もよろしくお願いします。
いつもご訪問ありがとうございます。
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今年もよろしくお願いします。
おめでとうございます
うわつさん
またどこかのイベントでニアミスがあるかもしれませんね。
今年も質の高い写真をよろしくお願いします。
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