宇和島市立歴史資料館と樺崎砲台跡
宇和島市住吉町にある宇和島市立歴史資料館と樺崎砲台跡へ行ってきましたので、紹介します。
宇和島市立歴史資料館の詳細はこちらへ

この建物は、明治17年(1884年)9月、宇和島広小路に「宇和島警察署」として建てられたものです。その後、昭和28年(1953年)2月、当時の南宇和郡西海町(現南宇和郡愛南町西海)役場として、移築され平成2年(1990年)までその役目を果たした。同町庁舎が新築されるのを機に宇和島に里帰りし、同4年3月樺崎砲台跡そばに復元されました。(建物は文化財保護法による登録有形文化財です。登録証は館内に展示されています。)
館内に入ると、

宇和島の地形がどのように変化したかわかる資料が展示されていました。

元禄16年(1703年)の宇和島だそうです。鶴島城(現宇和島城)の後ろは海だったことが分かります。
上記地図の赤印は、現宇和島市立歴史資料館の位置を示してます。

平成8年(1996年)の宇和島です。元禄16年と比べると海が埋め立てられているのが分かります。これをみて宇和島の地価が高いのは元々土地がなかったことが原因なのかもしれないと勝手に思っちゃいました。
他には、

華宵のモダン・デザイン展が平成22年3月14日まで行われています。
高畠華宵といえば、世間から注目をあびた津村順天堂の「中将湯」の広告絵が有名ですね。モダンで華麗な華宵の絵を是非一度見てください。
また、展示替えが年4回(3・6・9・12月)行われるそうです。
次に樺崎砲台跡です。

写真の中央奥に宇和島市立歴史資料館が見えます。

宇和島藩が西洋造築法を導入し、10ヶ月かけて宇和島湾の守りとして築造された樺崎砲台の復元想像図です。これを見るとどのように砲台がすえられていたか分かると思います。

復元された砲台です。当時、5門の砲がすえられていたそうです。
宇和島市立歴史資料館でもらった資料によると、慶応2年(1866年)に宇和島に来航したイギリス軍艦に礼砲を撃ったことが、アーネスト・サトウの記録に見られ、実戦に役立つものではないらしいとも記されているそうですが。。。
また、砲台跡の傍らに竣工を記念し、その経過を記した石碑が今も残っています。
この石碑はなんと安政3年(1856年)に建てられたものだそうです。すごい!
また、樺崎は、藩主が江戸から帰ったとき、ここから上陸したため「お上がり場」と呼ばれたそうですよ。
皆さんもこの「お上がり場」へ来て樺崎砲台跡を見てください。
以上、今年最後の投稿となる三間米大好き二名っ子でした。
追記
このブログを見ていただいている方へ
来年もよろしくお願いします。それでは、良いお年を。。。
宇和島市立歴史資料館の詳細はこちらへ

この建物は、明治17年(1884年)9月、宇和島広小路に「宇和島警察署」として建てられたものです。その後、昭和28年(1953年)2月、当時の南宇和郡西海町(現南宇和郡愛南町西海)役場として、移築され平成2年(1990年)までその役目を果たした。同町庁舎が新築されるのを機に宇和島に里帰りし、同4年3月樺崎砲台跡そばに復元されました。(建物は文化財保護法による登録有形文化財です。登録証は館内に展示されています。)
館内に入ると、

宇和島の地形がどのように変化したかわかる資料が展示されていました。

元禄16年(1703年)の宇和島だそうです。鶴島城(現宇和島城)の後ろは海だったことが分かります。
上記地図の赤印は、現宇和島市立歴史資料館の位置を示してます。

平成8年(1996年)の宇和島です。元禄16年と比べると海が埋め立てられているのが分かります。これをみて宇和島の地価が高いのは元々土地がなかったことが原因なのかもしれないと勝手に思っちゃいました。
他には、

華宵のモダン・デザイン展が平成22年3月14日まで行われています。
高畠華宵といえば、世間から注目をあびた津村順天堂の「中将湯」の広告絵が有名ですね。モダンで華麗な華宵の絵を是非一度見てください。
また、展示替えが年4回(3・6・9・12月)行われるそうです。
次に樺崎砲台跡です。

写真の中央奥に宇和島市立歴史資料館が見えます。

宇和島藩が西洋造築法を導入し、10ヶ月かけて宇和島湾の守りとして築造された樺崎砲台の復元想像図です。これを見るとどのように砲台がすえられていたか分かると思います。

復元された砲台です。当時、5門の砲がすえられていたそうです。
宇和島市立歴史資料館でもらった資料によると、慶応2年(1866年)に宇和島に来航したイギリス軍艦に礼砲を撃ったことが、アーネスト・サトウの記録に見られ、実戦に役立つものではないらしいとも記されているそうですが。。。
また、砲台跡の傍らに竣工を記念し、その経過を記した石碑が今も残っています。

この石碑はなんと安政3年(1856年)に建てられたものだそうです。すごい!
また、樺崎は、藩主が江戸から帰ったとき、ここから上陸したため「お上がり場」と呼ばれたそうですよ。
皆さんもこの「お上がり場」へ来て樺崎砲台跡を見てください。
以上、今年最後の投稿となる三間米大好き二名っ子でした。
追記
このブログを見ていただいている方へ
来年もよろしくお願いします。それでは、良いお年を。。。

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コメント
面白そうですね!
Re: 面白そうですね!
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
なんかん20号さんのコメントを励みに、今年も良い情報(?)を提供したいです。
今年もよろしくおねがいします。
なんかん20号さんのコメントを励みに、今年も良い情報(?)を提供したいです。
コメントの投稿
今年もよろしくおねがいします。
歴史資料館に砲台、そして高畠華宵(宇和島出身の方だったとは知りませんでした)。面白そうです!
最初、歴史資料館という文字を見て、お城山を登る途中にある建物かと思いましたが…。全然違いました。すごく立派なところがあったんですね。
最後に、
今年もますますこの「南予にきさいや!」ブログが発展しますように…!