夜昼峠越え…
いつもなら、車でほんの5~6分でトンネルを抜けてしまう「夜昼峠」を徒歩で越えてみました。
いや、ほんの軽い気持ちで…
その道中にある”日本近代土木遺産Bランク”にもあげられる「千賀居(ちがい)隧道」を御紹介します。
ちなみに、「日本近代土木遺産」とは、『(社)土木学会が、国内の歴史的建造物のうち土木構造物について、保存に資することを目的として構造物群を「土木遺産」に認定して顕彰する制度及び顕彰された土木構造物群』だそうです。
ところで、「夜昼峠」というこの変った峠名の由来は、”「未明に麓を出発し、峠で夜が明けた」ほどの難所だったのでこの名がついた”というのが通説となっているようですが、下の写真のように霧深い土地なので、「霧が~寄る・干る」がその語源であるとか、はたまた、麓にある”夜昼(よひる)集落”が訛ったという節もあるそうで…。

前置きはさておき、こんな岸壁を削りとったような薄暗い道が延々と続く、長~い峠道をひたすら歩き続けます。
昭和46年の現・夜昼トンネルが抜けるまでは、この道をバスやトラックが、その昔は馬車が往来していたんですよね。

道中には、今では滅多に見かけることのなくなった”白看板”を目にすることができます。
白看板の設置は昭和46年頃が最後ということらしいので、現・夜昼トンネルが開通した頃からそのままにしてあるのでしょうか?


そして、このトンネルが「千賀居隧道」です。
○延長17.00m○全幅5.40m○全高4.70m
と、大型トラックはともかく、現代の車でもなんとか離合できる程の幅広です。
完成はなんと1905年(明治38年)
そう、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」最終回で放送してました「日本海海戦」のあった年なんです!
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シー!!」って頭に浮かんだのは私だけでしょうか?

内部はレンガ造りで、少々傷はあるものの100年以上も前に造られた建造物とは思えない程…

アーチ部は、煉瓦の長手のみを千鳥(ジグザグ)に積む方式である「長手積み」
(アーチ真ん中を走る赤いラインが気になりますが?)

垂直部は、煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式「イギリス積み」という工法です。

実はこのトンネル、勾配を緩くするためぐるぐる回りながら高度をあげるループ上のトンネルなので、このトンネルの上に道が通ってるんです。
現代の高速ICやJCTでこの形状が見受けられますが、その御先祖様にあたるのですね。
で、おそらく(一応)現役・日本最古のループ構造トンネルということで、”日本の近代土木遺産Bランク”に格付けされているらしいのです、素晴らしい!!
大事にしなくちゃですね~

実際に見に行きたい方はコチラまでどうぞ。
地図上からでもループ形状になってるのがわかりますね?
八幡浜側から行かれる方は、千丈小横の道から旧R197に入った方が、延々山道が続きますが無難です。

ちなみに、道中、こんな林道(芝中線)↓が通ってますが、立ち入らないでくださいね。
実は、この前週にも取材目的で旧R197を行くつもりが、誤って、県道235号(野佐来八幡浜線)を進んでしまい~
舗装が切れた箇所から更に続くこの林道に足を踏み入れたのが運のツキ、それから延々2時間以上、懐中電灯1本頼りに暗闇をさまよい歩きました。残念ながら写真撮る余裕もなく、状況をレポートできませんが、ちょっとした遭難気分を味わいました。
途中で、スマホ・ナビが何度も何度も「違うよ!!」って教えてくれてたのに…「イヤイヤ、GPS衛星が間違ってるワ!」って…
山中から遠~くに見えた、豚太郎(大洲店)の光がまぶしかったですワ。

以上、mikanyaでした。
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いや、ほんの軽い気持ちで…
その道中にある”日本近代土木遺産Bランク”にもあげられる「千賀居(ちがい)隧道」を御紹介します。
ちなみに、「日本近代土木遺産」とは、『(社)土木学会が、国内の歴史的建造物のうち土木構造物について、保存に資することを目的として構造物群を「土木遺産」に認定して顕彰する制度及び顕彰された土木構造物群』だそうです。
ところで、「夜昼峠」というこの変った峠名の由来は、”「未明に麓を出発し、峠で夜が明けた」ほどの難所だったのでこの名がついた”というのが通説となっているようですが、下の写真のように霧深い土地なので、「霧が~寄る・干る」がその語源であるとか、はたまた、麓にある”夜昼(よひる)集落”が訛ったという節もあるそうで…。

前置きはさておき、こんな岸壁を削りとったような薄暗い道が延々と続く、長~い峠道をひたすら歩き続けます。
昭和46年の現・夜昼トンネルが抜けるまでは、この道をバスやトラックが、その昔は馬車が往来していたんですよね。

道中には、今では滅多に見かけることのなくなった”白看板”を目にすることができます。
白看板の設置は昭和46年頃が最後ということらしいので、現・夜昼トンネルが開通した頃からそのままにしてあるのでしょうか?


そして、このトンネルが「千賀居隧道」です。
○延長17.00m○全幅5.40m○全高4.70m
と、大型トラックはともかく、現代の車でもなんとか離合できる程の幅広です。
完成はなんと1905年(明治38年)
そう、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」最終回で放送してました「日本海海戦」のあった年なんです!
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シー!!」って頭に浮かんだのは私だけでしょうか?

内部はレンガ造りで、少々傷はあるものの100年以上も前に造られた建造物とは思えない程…

アーチ部は、煉瓦の長手のみを千鳥(ジグザグ)に積む方式である「長手積み」
(アーチ真ん中を走る赤いラインが気になりますが?)

垂直部は、煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式「イギリス積み」という工法です。

実はこのトンネル、勾配を緩くするためぐるぐる回りながら高度をあげるループ上のトンネルなので、このトンネルの上に道が通ってるんです。
現代の高速ICやJCTでこの形状が見受けられますが、その御先祖様にあたるのですね。
で、おそらく(一応)現役・日本最古のループ構造トンネルということで、”日本の近代土木遺産Bランク”に格付けされているらしいのです、素晴らしい!!
大事にしなくちゃですね~

実際に見に行きたい方はコチラまでどうぞ。
地図上からでもループ形状になってるのがわかりますね?
八幡浜側から行かれる方は、千丈小横の道から旧R197に入った方が、延々山道が続きますが無難です。

ちなみに、道中、こんな林道(芝中線)↓が通ってますが、立ち入らないでくださいね。
実は、この前週にも取材目的で旧R197を行くつもりが、誤って、県道235号(野佐来八幡浜線)を進んでしまい~
舗装が切れた箇所から更に続くこの林道に足を踏み入れたのが運のツキ、それから延々2時間以上、懐中電灯1本頼りに暗闇をさまよい歩きました。残念ながら写真撮る余裕もなく、状況をレポートできませんが、ちょっとした遭難気分を味わいました。
途中で、スマホ・ナビが何度も何度も「違うよ!!」って教えてくれてたのに…「イヤイヤ、GPS衛星が間違ってるワ!」って…
山中から遠~くに見えた、豚太郎(大洲店)の光がまぶしかったですワ。

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