鬼北町の「岩谷遺跡」に行ってきました。

こんにちは。

今回は古代のロマンです(?)

鬼北町岩谷にある縄文時代の遺跡「岩谷遺跡」に行ってきました。

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岩谷遺跡の場所は・・・国道320号線を鬼北町の中心部から西予市城川町方面へ向かうとすぐある岩谷トンネルの手前に看板がありますので左折してください。(この辺り
その後すぐに左折して、泉小学校の前を過ぎると右手に岩谷遺跡があります。(場所はこちら


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やって来ました。

ここ岩谷遺跡は縄文時代後期(約3000年前)の遺跡で、この遺跡は、上段、下段の二段に分かれており、どちらからも多量の縄文後期の土器や石器が発見されているそう。
特に下段からは、長さ75メートルにわたる環状列石や組石等の配石遺構が見つかっております。

昭和36年に、大量の縄文式土器と大分県姫島産の黒曜石がこのあたりで発見され、その後昭和51年から52年にこの辺りで圃場整備事業が実施された際にこれらの遺跡が発見され、調査が行われたそうです。


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これがその配石遺構です。

住居などではなく、豊漁などを祈念した祭祀的遺構との説が有力だそうです。

このような配石遺構は、東日本では多く見られていますが、西日本での発見は珍しく貴重な遺跡ということで、昭和57年に県指定史跡になっています。


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当時の人々は狩猟、採取の生活で、極寒時にだけ宇和島や南宇和へ移住し、春から秋までの期間はこの辺りで生活していたと考えられているそうです。

自然と共に生活し、自然の恵みだけで生きていたこの時代、ここで人々は自然の恵みへの感謝と豊漁を神様にお祈りしていたのでしょう。


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遺構の横には、当時の住居(?)を再現した体験施設がありました。


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縄文時代の生活とはどんなものだったのでしょうか・・・?

この便利な社会に慣れきっている私にはとても耐えられない素朴な生活なのでしょう・・・でもそれもいいかもしれませんねぇ。。


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そして、こちらは岩谷遺跡のすぐ近くにある泉公民館(場所はこちら
この泉公民館には岩谷遺跡で出土した石器や土器などが常時展示されております。


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こちらが展示スペース。
遺跡の説明とともに多くの出土品が並んでいました。


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これは磨製石器(石斧)ですね。


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これは・・・巫女が祈祷の際に身に着けた垂飾品(ペンダント)だそうです。


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そして土器。土器は大きく6つの時代に区分されて展示されていました。


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最後に岩谷遺跡のすぐ横を流れる広見川・・・四万十川の源流のひとつです。

約3000年前の縄文時代はどんな眺めだったのでしょう・・・と遠い昔に思いを馳せてみるGONでした。


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