終戦記念日を前にして

こんにちは。  どんぐりです。

今回はまず、私の大好きな愛南町久良湾の景色をご紹介します。
(場所はこちら


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目の前には松島という島が 小さいながらどっしりと浮かび
右から伸びる岬の先端には、愛南町の景勝地「天儀ノ鼻」が見え
正面奥には、宿毛湾越しに高知県大月町の山並みが望めます。

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以前は山の稜線近く、高い位置を県道と町道が走るだけでしたが、
平成に入り 愛南町日土(ひつち)から古月(ふるつく)にかけての
この海岸沿いにも道路が整備され、
リアス式海岸ならではの美しい景色と澄んだ海を真近に見られるようになりました。

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磯づたいに歩いて行かなければ見ることのできなかった風景が
車を走らせながら窓越しに見えるのって、何度経験しても不思議な感じですね。
(海沿いの地区に長くお住まいの方なら 何となく解ってもらえますか!?)

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この日は大雨の後で 少し濁っていますが
普段は透明度の高い、青く美しい海です。

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特別な景勝地でもないこの湾自体を紹介したのは

自分が幼い頃を過ごした 大切な故郷だから・・

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(この位置この場所に住み 目の前の松島を眺めながら幼い頃の数年を過ごしました)


・・いえ。  今回ご紹介したのは 別の理由からです。




地元のお年寄りが まだ小さい私たちに
何度も こういう話をしてくれました。

松島の右やや奥の海を指しながら

「太平洋戦争のおわりごろ、あそこらへんに ひこうきがおちた。」

そして

「いまもそこにしずんどる」   


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右の山を越えて飛んできた、という話だったと記憶していますが・・


写真中央の小さな岬の先端と 松島を結んだ位置の やや沖側。

あのお年寄りが指さしていた まさにその場所で
昭和53年11月18日 それは発見されました。

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機体は 旧日本海軍局地戦闘機 『紫電改』でした。
現在の愛媛県松山市にあった343剣部隊に所属し、終戦間近い昭和20年(1945年)
7月24日、豊後水道上空でアメリカ軍機と交戦した中の一機であることも分かりました。

昭和20年7月24日、土佐沖に進行してきたアメリカ機動部隊艦載機・戦爆連合
約200機が呉・広島方面攻撃に来襲し、
これを迎撃するために長崎県の大村基地から「紫電改」21機が発進、
豊後水道上空で空中戦となり 16機を撃墜したと伝えられています。


しかし この空中戦の結果、
6機の紫電改は 遂に帰還することがありませんでした。


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大勢の人々、関係者、そして未帰還となった6機の搭乗者の ご遺族が見守る中、
昭和54年(1979年)7月14日 機体は引揚げられました。


学校の理科室で授業中 生中継のテレビ映像を見せてもらいながら

「見つけてもらって良かったね」という思いと
「そのままそっとしておいてやって」という思い、
 そしてなぜか
「こんなにたくさんの人に見られてすごくかわいそう」

といういろんな思いが入り混じった、何とも整理のつかない
複雑な思いで見つめていたのを今でも憶えています。




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今、紫電改は 久良湾を望むことのできる南レク馬瀬山公園で
静かにその翼を休めています。
31年前に引揚げられた「最後の場所」に その機首を向けて。

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このブログで 戦争や平和について議論するつもりはありません。
ただ、ここには戦争の一面を伝える貴重な資料が残されています。

もし まだここにおいでになっていない方がいらっしゃいましたら
どうか 一度お越しください。

そして是非 この紫電改を 直接ご自身の目でご覧ください。

もちろん機体だけでなく、展示資料などもゆっくりご覧くださいね。



【南レク 紫電改展示館】(場所はこちら

所在地  愛媛県南宇和郡愛南町久良
営業時間 9:00~17:00
休館期間 12月29日~1月1日
入館料  無料
問合せ先 南レク㈱南宇和管理事務所 馬瀬山公園
     愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城5688
     ℡0895-72-3212 



どんぐりでした。



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テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル : 地域情報

コメント

感涙しました。。

久良湾が出たら、ただきれいな景色だけでなく。。と思っていたら‥(ノ∀`。)よく紹介して下さいました。

自分なりの・・

気付けば自分も子を持つ世代となり、
今度は自分が伝える立場になりましたが・・
事実についてたくさん勉強しないと
自分なりの説明ができないですね。

犠牲の上で

「紫電改」引揚げのテレビ中継を私も見ていました。当時、中学3年生でした。どんぐりさんもご存じと思いますが(と言うか、敢えて触れなかったのでしょうが)、あのときテレビクルーが不幸な事故に遭いました。胸が絞めつけられる思いがしました。
いろいろな犠牲の上に今の私たちは暮らしているのだと改めて感じ入った次第です。ありがとうございました。

コメントありがとうございます

とても悲しい事故で、私もはっきり覚えています。
このとき亡くなられた記者の方のため、紫電改展示館の海側、海を望む位置に「鎮魂」と刻まれた大きな碑が建立されていますので、ご紹介させていただきます。
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