坂本龍馬脱藩の道をゆく(伊予編)
こんにちは。
さて、今回は坂本龍馬の脱藩の道を巡る旅【伊予編】です。
文久2年(1862年)3月24日夕方に高知を出発した坂本龍馬は25日に梼原の那須俊平・信吾邸に宿泊しています。
翌26日に韮ヶ峠を越えてついに土佐藩を脱藩し、伊予へ入っています。
西予市野村町へ入っていますので、当時で言えば宇和島藩でしょうか。
で、最初のポイントがここ。
↓

西予市野村町惣川の「男水」です。
以前大野ヶ原へ旅の記事で紹介しましたね。
龍馬が飲んだといわれる白瀧の水を引いています。

野村町の脱藩の道の案内板です。
韮ヶ峠から男水まで3.5Km、ここから榎ヶ峠を越えて大洲市河辺町へ入ります。

榎ヶ峠です。
大洲市河辺町の脱藩の道はこちらをご覧下さい。
車で行くなら、県道55号線を河辺支所から北上し、御幸橋を過ぎて右折後、延々と道を登ってさらに林道を登らなければ辿りつけません。

榎ヶ峠から案内板を頼りに下りていくと・・・

「夜明けの道記念碑」がありました。
大洲市河辺町は旧河辺村時代からこの脱藩の道の保存に力を入れています。

記念碑から少し下りると茶堂がありました。
ここで龍馬もしばしの休憩を取ったのでしょうか。

こういった句碑が所々に建てられていました。

河辺の深い谷を抜けていきます。

道をずっと下りると、以前御紹介した「河辺浪漫八橋」のひとつ「御幸橋」に来ました。
ここも脱藩の道です。
・・・と、ここで少し脱藩の道からそれまして・・・

河辺のふるさと公園にある「坂本龍馬脱藩之日記念館」にやって来ました。
坂本龍馬の脱藩に関する展示が数多くあります。
入館は無料で、開館時間は9:00~17:00までです。
休館日は第2、第4月曜日です。

中に入ってみました。

脱藩の経路や・・・

脱藩前夜の様子が再現されています。
他にもいろいろあるのですが、それは実際に来て見てください!

ふるさと公園には坂本龍馬達の銅像もありました。
真ん中が坂本龍馬、左が沢村惣之丞、右が道を案内する那須俊平です。
・・・前回の銅像の説明と同じですね・・・

・・・さて、脱藩の道に戻ります。
「御幸橋」を渡った龍馬は封事ヶ峠を越えて三杯谷へと来ました。

ここも以前御紹介した「龍神橋」と・・・

「三杯谷の滝」ですね。

どんどん行きましょう!

そして、水ヶ峠を抜け、「泉ヶ峠」に着きました。
ここは龍馬達が26日の夜に宿泊した場所です。
梼原を出て1日で約50Kmを走破したことになります・・・。

説明があったので、パチリ。
私の説明不足を補ってください・・・。

車道からそれて徒歩で少し登ると宿泊の記念碑がありました。

峠付近からの眺めです。
龍馬はここで宿泊し、日本の夜明けを見たのでしょうか・・・。あ、これは夕日です・・・。

泉ヶ峠から内子町へ下りる道沿いにあったしだれ桜です。
脱藩とは関係ありませんが綺麗だったのでパチリ。

そして・・・翌27日に龍馬達は泉ヶ峠を下りて内子町の亀の甲にたどり着きました。
ここからは舟で肱川を下って行ったそうです。

説明追加!

肱川へと続く小田川の流れです。

大洲城までやって来ました。
龍馬たちはここ大洲の志保町界隈(おはなはん通りの辺りですね。)で昼食を取ったそうです。

そして・・・ついに脱藩の道の四国側の終着地長浜に来ました。長かった・・・。
写真は長浜大橋です。

ここが龍馬たちが舟を下りた港、江湖です。
埋め立てで随分小さくなったそうです。

そして龍馬たちは四国最後の夜を冨谷金兵衛邸で過ごしています。
写真はその跡地で小さな石碑がありました。

龍馬たちは翌28日に長浜から海を渡って長州へと旅立ってゆくのでした!!
・・・随分駆け足の紹介でしたが、いかがでしたでしょうか。
まだ、紹介し足りない所が多くありますし、観光のポイントとしてはお気軽に出かけて見て回れるものではないのですが(実際取材にはかなりの日数を要しました・・・(T_T))、このような道が南予を通っているというのを少しでも知っていただければと思いました。
ところで、某NHKの大河ドラマ「龍馬伝」・・・3月28日(日)の放送でいよいよ龍馬は土佐を脱藩します!
大河ドラマで龍馬を身近に感じてもらって、脱藩の道でも尋ねていただければ幸いです。
GONでした。
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さて、今回は坂本龍馬の脱藩の道を巡る旅【伊予編】です。
文久2年(1862年)3月24日夕方に高知を出発した坂本龍馬は25日に梼原の那須俊平・信吾邸に宿泊しています。
翌26日に韮ヶ峠を越えてついに土佐藩を脱藩し、伊予へ入っています。
西予市野村町へ入っていますので、当時で言えば宇和島藩でしょうか。
で、最初のポイントがここ。
↓

西予市野村町惣川の「男水」です。
以前大野ヶ原へ旅の記事で紹介しましたね。
龍馬が飲んだといわれる白瀧の水を引いています。

野村町の脱藩の道の案内板です。
韮ヶ峠から男水まで3.5Km、ここから榎ヶ峠を越えて大洲市河辺町へ入ります。

榎ヶ峠です。
大洲市河辺町の脱藩の道はこちらをご覧下さい。
車で行くなら、県道55号線を河辺支所から北上し、御幸橋を過ぎて右折後、延々と道を登ってさらに林道を登らなければ辿りつけません。

榎ヶ峠から案内板を頼りに下りていくと・・・

「夜明けの道記念碑」がありました。
大洲市河辺町は旧河辺村時代からこの脱藩の道の保存に力を入れています。

記念碑から少し下りると茶堂がありました。
ここで龍馬もしばしの休憩を取ったのでしょうか。

こういった句碑が所々に建てられていました。

河辺の深い谷を抜けていきます。

道をずっと下りると、以前御紹介した「河辺浪漫八橋」のひとつ「御幸橋」に来ました。
ここも脱藩の道です。
・・・と、ここで少し脱藩の道からそれまして・・・

河辺のふるさと公園にある「坂本龍馬脱藩之日記念館」にやって来ました。
坂本龍馬の脱藩に関する展示が数多くあります。
入館は無料で、開館時間は9:00~17:00までです。
休館日は第2、第4月曜日です。

中に入ってみました。

脱藩の経路や・・・

脱藩前夜の様子が再現されています。
他にもいろいろあるのですが、それは実際に来て見てください!

ふるさと公園には坂本龍馬達の銅像もありました。
真ん中が坂本龍馬、左が沢村惣之丞、右が道を案内する那須俊平です。
・・・前回の銅像の説明と同じですね・・・

・・・さて、脱藩の道に戻ります。
「御幸橋」を渡った龍馬は封事ヶ峠を越えて三杯谷へと来ました。

ここも以前御紹介した「龍神橋」と・・・

「三杯谷の滝」ですね。

どんどん行きましょう!

そして、水ヶ峠を抜け、「泉ヶ峠」に着きました。
ここは龍馬達が26日の夜に宿泊した場所です。
梼原を出て1日で約50Kmを走破したことになります・・・。

説明があったので、パチリ。
私の説明不足を補ってください・・・。

車道からそれて徒歩で少し登ると宿泊の記念碑がありました。

峠付近からの眺めです。
龍馬はここで宿泊し、日本の夜明けを見たのでしょうか・・・。あ、これは夕日です・・・。

泉ヶ峠から内子町へ下りる道沿いにあったしだれ桜です。
脱藩とは関係ありませんが綺麗だったのでパチリ。

そして・・・翌27日に龍馬達は泉ヶ峠を下りて内子町の亀の甲にたどり着きました。
ここからは舟で肱川を下って行ったそうです。

説明追加!

肱川へと続く小田川の流れです。

大洲城までやって来ました。
龍馬たちはここ大洲の志保町界隈(おはなはん通りの辺りですね。)で昼食を取ったそうです。

そして・・・ついに脱藩の道の四国側の終着地長浜に来ました。長かった・・・。
写真は長浜大橋です。

ここが龍馬たちが舟を下りた港、江湖です。
埋め立てで随分小さくなったそうです。

そして龍馬たちは四国最後の夜を冨谷金兵衛邸で過ごしています。
写真はその跡地で小さな石碑がありました。

龍馬たちは翌28日に長浜から海を渡って長州へと旅立ってゆくのでした!!
・・・随分駆け足の紹介でしたが、いかがでしたでしょうか。
まだ、紹介し足りない所が多くありますし、観光のポイントとしてはお気軽に出かけて見て回れるものではないのですが(実際取材にはかなりの日数を要しました・・・(T_T))、このような道が南予を通っているというのを少しでも知っていただければと思いました。
ところで、某NHKの大河ドラマ「龍馬伝」・・・3月28日(日)の放送でいよいよ龍馬は土佐を脱藩します!
大河ドラマで龍馬を身近に感じてもらって、脱藩の道でも尋ねていただければ幸いです。
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