宇和島市住吉町にある見返橋の名前の由来について
もう春のお彼岸ですね。
明日にでも時間が取れたら、お墓参りに行きたいなぁ~。
そういえば、墓参りに行くと、亡くなったおばあちゃんが、子供だったおいらに言っていたことなどをふと思い出すことがあります。
その一つに、宇和島市住吉町にある見返橋があります。
その時のやり取りを思い出すと次のような感じだったような。。。
おばあちゃん「この見返橋という名前がなんでついたかしっちょうがよ?」
おいら「知らない。」
おばあちゃん「黒の瀬にある宇和島藩の刑場に連れて行く罪人が宇和島の城下町を見返るからついたんよ。」
おいら「黒の瀬ってどこ?」
おばあちゃん「大浦のほうよ。」
おいら「ふ~ん」

上記の写真が現在の見返橋です。住吉公園の近くにあります。場所はこちら
橋は架け変わり、橋の名前の由来を語れるおばあちゃんも亡くなった今、今度はおいらが自分の子供に橋の名の由来を語る時なのかもしれないなぁっと思いました。

現在の見返橋の全体を撮った写真です。
ちなみに、見返橋の名の由来についてですが、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」にもおばあちゃんの言葉と似たような記載があったと思います。
宇和島街道に興味がある方は、是非「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」を読んで見て下さい。
なお、報告書は、宇和島市立図書館(中央、吉田、津島)か愛媛県立図書館で借りることができると思います。
以上、最近なにかと忙しくネタ集めの取材ができていない三間米大好き二名っ子でした。
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明日にでも時間が取れたら、お墓参りに行きたいなぁ~。
そういえば、墓参りに行くと、亡くなったおばあちゃんが、子供だったおいらに言っていたことなどをふと思い出すことがあります。
その一つに、宇和島市住吉町にある見返橋があります。
その時のやり取りを思い出すと次のような感じだったような。。。
おばあちゃん「この見返橋という名前がなんでついたかしっちょうがよ?」
おいら「知らない。」
おばあちゃん「黒の瀬にある宇和島藩の刑場に連れて行く罪人が宇和島の城下町を見返るからついたんよ。」
おいら「黒の瀬ってどこ?」
おばあちゃん「大浦のほうよ。」
おいら「ふ~ん」

上記の写真が現在の見返橋です。住吉公園の近くにあります。場所はこちら
橋は架け変わり、橋の名前の由来を語れるおばあちゃんも亡くなった今、今度はおいらが自分の子供に橋の名の由来を語る時なのかもしれないなぁっと思いました。

現在の見返橋の全体を撮った写真です。
ちなみに、見返橋の名の由来についてですが、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」にもおばあちゃんの言葉と似たような記載があったと思います。
宇和島街道に興味がある方は、是非「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」を読んで見て下さい。
なお、報告書は、宇和島市立図書館(中央、吉田、津島)か愛媛県立図書館で借りることができると思います。
以上、最近なにかと忙しくネタ集めの取材ができていない三間米大好き二名っ子でした。
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コメント
No title
見返り橋の由来はよく聞きますが、江戸時代にあの橋はかかっていません(海でした)ので、その話はあくまでフィクションですね。
No title
私も、聞いたことがあります。
また、義姉が大浦に嫁いでいて、時々大浦に出かけることから、何となくいつも気にしています。
でも、「そんなの関係ない!」って感じで、国道56号が混雑しているときには、よく迂回路として峠を越して吉田町へ出かけます。
また、義姉が大浦に嫁いでいて、時々大浦に出かけることから、何となくいつも気にしています。
でも、「そんなの関係ない!」って感じで、国道56号が混雑しているときには、よく迂回路として峠を越して吉田町へ出かけます。
Re: No title
コメントありがとうございます。
宇和島人さんの指摘のとおり、現在の見返橋があるところは、たしかに海でしたよね。
だから、現在の見返橋の位置には、当然架かっていませんよね。
ちなみに、おいらの記憶が間違っていなければ、現在の「すかはし」が架かっていたところに見返橋が架かっていたと、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」に記載されていたと思います。
ただ、前にちょっと借りて読んだだけので、おいらの勘違いかもしれませんが。
今度、もう一度借りて読み直してみたいと思います。
最後に、フィクションだとしても、そういう言い伝えが語り継がれているというのも良いものだと思ってブログを書きました。
宇和島人さんの指摘のとおり、現在の見返橋があるところは、たしかに海でしたよね。
だから、現在の見返橋の位置には、当然架かっていませんよね。
ちなみに、おいらの記憶が間違っていなければ、現在の「すかはし」が架かっていたところに見返橋が架かっていたと、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」に記載されていたと思います。
ただ、前にちょっと借りて読んだだけので、おいらの勘違いかもしれませんが。
今度、もう一度借りて読み直してみたいと思います。
最後に、フィクションだとしても、そういう言い伝えが語り継がれているというのも良いものだと思ってブログを書きました。
Re: No title
コメントありがとうございます。
おいらも56号が混雑している時に、ときどき迂回路として通ります。
道は狭いので、対向車が来ないように祈って運転していますが。
おいらも56号が混雑している時に、ときどき迂回路として通ります。
道は狭いので、対向車が来ないように祈って運転していますが。
補足
~補足~
まず、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」の34頁の右から3行目に「須賀川の付け替え以前の街道は、大浦より長浦の裏山を越えて、藤江から須賀川に出る道であった。須賀川に往時架かっていた「見返橋」は、黒の瀬刑場で打ち首になる罪人が見納めに町を振り返ったところからこの名があるという。」と記載されております。
また、同報告書の付図6には、須賀川の付け替え以前の街道が破線で記されています。
しかし、おいらの記事では、現在の見返橋の写真を載せており、また、説明が不十分だったので誤解を招いたかもしれません。
まず、「愛媛県歴史の道調査報告書第6集 宇和島街道」の34頁の右から3行目に「須賀川の付け替え以前の街道は、大浦より長浦の裏山を越えて、藤江から須賀川に出る道であった。須賀川に往時架かっていた「見返橋」は、黒の瀬刑場で打ち首になる罪人が見納めに町を振り返ったところからこの名があるという。」と記載されております。
また、同報告書の付図6には、須賀川の付け替え以前の街道が破線で記されています。
しかし、おいらの記事では、現在の見返橋の写真を載せており、また、説明が不十分だったので誤解を招いたかもしれません。
No title
こんにちは。松山市の森山です。
この橋、父の祖父・祖母の家のすぐ近くにあります。
取材されていたので、驚きました。
ありがとうございます。
この橋、父の祖父・祖母の家のすぐ近くにあります。
取材されていたので、驚きました。
ありがとうございます。
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