ちょこっとおひさしぶりです。

寒さも和らいでまいりましたね~´∀`v
今回は前々回の龍華山に引き続き、伊達家菩提寺の「金剛山大隆寺」に行ってまいりましたニヤリ
場所はコチラ

山門です。
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金剛山はもともと慶長13(1608)年に伊予板島(今の宇和島)城主だった富田信高が亡き父親を弔うために建てたのだったとか。
信高は秀吉に仕え、あの有名な「秀吉公の肖像画きらきらを描かせたお人です。
5代藩主伊達村候(むらとき)がここを自分の墓所にし、以後7代宗紀(むねただ)、9代宗徳(むねえ)が葬られることとなりました。

さて山門をくぐると・・

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本堂がありました。
こちらの庭園は市指定文化財キラキラにもなっている名勝で、様々な木々が立ち並んでいます。雪化粧をまとって一段と美しい!

さていったん戻って、山門脇の道を進んでいくと(結構な坂道で・・いい運動です。)

7代藩主宗紀(1792~1889・右)とご夫人の(左)のお墓があります。
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まぶしっ・・(´□`;)逆光すみません・・

宗紀はなんと100歳近く生きたといわれています。ヒェ~
困窮した藩財政を立て直すため様々な政策を行い、8代宗城が活躍する基盤を固めたそう。
右脇の道沿いには歴代藩主の息子達、家臣の桜田家のお墓もありました。

更に奥に進むと、
初代藩主秀宗の次男宗時(1615~1653)のお墓が。
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秀宗は晩年病気がちで藩政の実務は宗時に任せており、周囲にも次期藩主となると思われていましたが、病気で秀宗より先に亡くなったため2ch3男の宗利が2代目になったそうです。
それにしてもハンパない数の灯篭ですね。

先に進みます。
この辺りは木々が生い茂っているせいか、空気がひんやり澄んでてキラキラ気持ちいいです。

次は9代藩主宗徳(1830~1905)のお墓です。
お墓を囲む塀の中に入ってすぐ10代藩主宗陳(むねのぶ)の生母の立派なお墓がありますが、フェイントです。
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とにかくでかいです。龍華山で紹介した「佳子」の旦那様です。
夫婦なのにお墓の場所は別々なのですね・・。
宗徳は父の宗城の改革路線を引き継ぎ、富国強兵に努めましたが、隠居しても宗城が藩政の実権を握っていたとか。

最奥にあるのが5代藩主村候(1725~1794・右)と夫人の(左)のお墓です。

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村候は「享保の大飢饉」で大きく傾いた財政を立て直すため多彩な改革を実施するほか、歌集など様々な著書を残すなど文化面でもすぐれていた人だそう。

伊達家藩主のお墓は以上ですが、ちょっと戻って山門西の庭園を進んでみますすき

山家 公頼」(やんべきみより)が葬られている「おたまや様」(和霊廟)があります。
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公頼はもとは伊達政宗の家臣で、秀宗が宇和島に封じられた際総奉行となって秀宗に仕えたそう。
有能な人でしたが、秀宗の家臣の反対派により殺されたと伝えられています。
和霊大祭で有名な「和霊神社」はこの公頼の怨霊を鎮めるために建てられたそう。

以上、金剛山大隆寺の紹介でしたっ。
あっ、近くで素敵なカフェ2chを見つけたのでまた後日紹介いたしますね^v^PONでした~

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コメント

No title

1月5日の「等覚寺」拝見し行ってきました。
最近の歴史ブームに便乗している一人です、「大隆寺」も今度行きたいと思います。

今回気になったのが
>次は9代藩主宗徳(1830~1905)のお墓です。・・・夫婦なのにお墓の場所は別々なのですね・・。

なんとも複雑な気持ちですね??? v-292

こんにちは

Mさんコメント有り難うございます!
等覚寺行かれたのですね(´∀`)v大隆寺凄く近いのでまた是非!

辰野川沿いにはたくさんお寺ありますよね。天気がよい日は散歩がてら寺巡りしたくなります。

村候と宗紀夫婦は仲良く並んでるのに、宗徳だけぽつんとしてるので…
う~ん、複雑です(*_*)深い事情があったのでしょうかね?
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