坂本龍馬脱藩の道をゆく(土佐編)
こんにちは。
今回はNHKの今年の大河ドラマでも話題の「坂本龍馬」の話題を・・・
なぜ坂本龍馬かと申しますと、龍馬は維新の志に燃え、28歳の時に土佐藩を脱藩して、海を越え長州に渡っています。(詳しくはこちらをどうぞ)
その脱藩の時に通った道が、高知市から四国山地を越え、大洲市長浜町まで続いているんですよ。
そう!南予地方を通っているんですね!
この脱藩の道は長らく謎だとされていたのですが、「覚・関雄之助口述之事」という文書をもとに昭和63年に解明され、以来、関係市町村によって案内板が設置されて誰でも歩けるようになっております。
この道を2回に分けて紹介したいと思います。
1回目はせっかくだからお隣高知県側も紹介しちゃいましょう!ということで、“土佐編”です。(スミマセン)

いきなりピンボケ写真で申し訳ございませんが・・
龍馬脱藩の道です。
高知市から佐川町、津野町、梼原町を抜けて、愛媛県の西予市(野村町)、大洲市(河辺町)、内子町、再び大洲市から大洲市の長浜町まで続いています。
龍馬は文久2年(1862年)3月24日夕方に高知を出発し、27日には長浜に着き、翌28日には長州へ旅立ちました。
肱川を船で下った以外は歩きですよ(当たり前ですが・・・)ハードですね・・・。私には真似できません・・・。
さて、脱藩の道に入る前に、高知市内を軽~くご紹介~。

さて、こちらは桂浜。
太平洋広いですね~。宇和海を見慣れた私には、海しか見えない水平線が新鮮です。
その桂浜といえば・・・

はい! お馴染み龍馬像ですね。
大正15年に一人の大学生の募金運動から始まったこの銅像の建設活動は、その後秩父宮殿下から資金援助を受けるまでになり、ついに昭和3年にこの立派な銅像が建立されたそうです。

こちらは、高知城と板垣退助像です。
自由民権運動で有名な板垣退助ですが、土佐藩時代には、龍馬が加わっていた尊皇攘夷を推し進める「土佐勤王党」の弾圧を行ったりしたそうです・・。

こちらは、「坂本龍馬誕生地碑」です。
高知市内を走る国道33号線に面して建っております。

こちらは、「龍馬の生まれたまち記念館」です。
誕生地碑の裏手にあります。
大河ドラマと1月16日から始まった「土佐・龍馬であい博」の影響からか、龍馬関係の観光地はどこも人がいっぱいでした。
さて、ここからが脱藩の道の紹介です。

やってきたのは梼原町「太郎川公園」です。(こちら)
いきなりはしょってスミマセン。
3月24日夕方に高知を出た龍馬は一昼夜歩きとおして、25日にここ梼原に着いています。
その梼原の脱藩の道のポイントを歩いてみました。

太郎川公園内にも脱藩の道の案内板が。

こちらは龍馬が25日に泊まった那須俊平・信吾邸跡です。
(この辺りの地図はこちら)
梼原の中心部にありますので歩いて回れますよ。

那須親子のお墓がありました。那須俊平は内子まで龍馬を案内して歩いています。

どんどん行きましょう!

茶堂がありました。
城川のものとは屋根の辺りが違いますね。

こちらは、龍馬らとともに維新を駆け抜けた六志士の分霊を祀った墓です。
(掛橋和泉、中平龍之介、前田繁馬、那須信吾、那須俊平、吉村虎太郎)

こちらは、その六志士のひとり掛橋和泉の家です。
家財を費やし、脱藩を志した多くの同士を支えたそうです。
平成10年に現在地に移設されています。

こちらは三嶋神社に架かる神幸橋です。
立派な屋根付き橋ですね。
ここも脱藩の道になっていました。

こちらが「維新の門」。
六志士と坂本龍馬、龍馬と共に脱藩した沢村惣之丞の像があります。

躍動感のある像です。

真ん中が坂本龍馬、左が沢村惣之丞、右が道を案内する那須俊平です。
那須俊平が指差すのは伊予の国!
次回は伊予編です!
(駆け足の紹介でスミマセン・・・) GONでした。
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今回はNHKの今年の大河ドラマでも話題の「坂本龍馬」の話題を・・・
なぜ坂本龍馬かと申しますと、龍馬は維新の志に燃え、28歳の時に土佐藩を脱藩して、海を越え長州に渡っています。(詳しくはこちらをどうぞ)
その脱藩の時に通った道が、高知市から四国山地を越え、大洲市長浜町まで続いているんですよ。
そう!南予地方を通っているんですね!
この脱藩の道は長らく謎だとされていたのですが、「覚・関雄之助口述之事」という文書をもとに昭和63年に解明され、以来、関係市町村によって案内板が設置されて誰でも歩けるようになっております。
この道を2回に分けて紹介したいと思います。
1回目はせっかくだからお隣高知県側も紹介しちゃいましょう!ということで、“土佐編”です。(スミマセン)

いきなりピンボケ写真で申し訳ございませんが・・
龍馬脱藩の道です。
高知市から佐川町、津野町、梼原町を抜けて、愛媛県の西予市(野村町)、大洲市(河辺町)、内子町、再び大洲市から大洲市の長浜町まで続いています。
龍馬は文久2年(1862年)3月24日夕方に高知を出発し、27日には長浜に着き、翌28日には長州へ旅立ちました。
肱川を船で下った以外は歩きですよ(当たり前ですが・・・)ハードですね・・・。私には真似できません・・・。
さて、脱藩の道に入る前に、高知市内を軽~くご紹介~。

さて、こちらは桂浜。
太平洋広いですね~。宇和海を見慣れた私には、海しか見えない水平線が新鮮です。
その桂浜といえば・・・

はい! お馴染み龍馬像ですね。
大正15年に一人の大学生の募金運動から始まったこの銅像の建設活動は、その後秩父宮殿下から資金援助を受けるまでになり、ついに昭和3年にこの立派な銅像が建立されたそうです。

こちらは、高知城と板垣退助像です。
自由民権運動で有名な板垣退助ですが、土佐藩時代には、龍馬が加わっていた尊皇攘夷を推し進める「土佐勤王党」の弾圧を行ったりしたそうです・・。

こちらは、「坂本龍馬誕生地碑」です。
高知市内を走る国道33号線に面して建っております。

こちらは、「龍馬の生まれたまち記念館」です。
誕生地碑の裏手にあります。
大河ドラマと1月16日から始まった「土佐・龍馬であい博」の影響からか、龍馬関係の観光地はどこも人がいっぱいでした。
さて、ここからが脱藩の道の紹介です。

やってきたのは梼原町「太郎川公園」です。(こちら)
いきなりはしょってスミマセン。
3月24日夕方に高知を出た龍馬は一昼夜歩きとおして、25日にここ梼原に着いています。
その梼原の脱藩の道のポイントを歩いてみました。

太郎川公園内にも脱藩の道の案内板が。

こちらは龍馬が25日に泊まった那須俊平・信吾邸跡です。
(この辺りの地図はこちら)
梼原の中心部にありますので歩いて回れますよ。

那須親子のお墓がありました。那須俊平は内子まで龍馬を案内して歩いています。

どんどん行きましょう!

茶堂がありました。
城川のものとは屋根の辺りが違いますね。

こちらは、龍馬らとともに維新を駆け抜けた六志士の分霊を祀った墓です。
(掛橋和泉、中平龍之介、前田繁馬、那須信吾、那須俊平、吉村虎太郎)

こちらは、その六志士のひとり掛橋和泉の家です。
家財を費やし、脱藩を志した多くの同士を支えたそうです。
平成10年に現在地に移設されています。

こちらは三嶋神社に架かる神幸橋です。
立派な屋根付き橋ですね。
ここも脱藩の道になっていました。

こちらが「維新の門」。
六志士と坂本龍馬、龍馬と共に脱藩した沢村惣之丞の像があります。

躍動感のある像です。

真ん中が坂本龍馬、左が沢村惣之丞、右が道を案内する那須俊平です。
那須俊平が指差すのは伊予の国!
次回は伊予編です!
(駆け足の紹介でスミマセン・・・) GONでした。
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