宇和島市吉田町にある奥南運河へ行ってきました。
以前、ブログで細木運河を紹介しましたが、今回は、宇和島市吉田町にある「奥南運河」へ行ってきました。(細木運河の記事はこちら)

細木運河に比べて距離がありますが、後はほとんど変わらない感じがしました。赤い橋と灯台、正直、細木運河と似たような風景だなぁ~って思っちゃいました。しかも灯台に釣り人がいるところまで同じでした。

この奥南運河は、世界でも有数の海運会社だった山下汽船の創設者である山下亀三郎が資金援助し、1927年(昭和2年)に現在の運河に近いかたちで整備されたそうです。

奥南運河に架かる奥南橋は昭和52年9月に完成したことが分かります。

また、奥南橋には、ちゃんと「奥南航路」と表示もありました。

おいらの知っている限りでは、宇和島市には、細木運河、奥南運河、船越運河があるので、機会があれば船越運河もブログで紹介できればと思っています。

半島の突先にある大良鼻をぐるりと回るよりも奥南運河を渡ることでかなり時間が短縮されたでしょうから、船で海道を行き来していた時代には、重要な航路だったんだろうな~ってことを思いながら、橋から写真をパチリ。

最後に、奥南運河付近の道路工事の看板に地図があったので、パチリ。
奥南運河の場所はこちら
以上、三間米大好き二名っ子でした。
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細木運河に比べて距離がありますが、後はほとんど変わらない感じがしました。赤い橋と灯台、正直、細木運河と似たような風景だなぁ~って思っちゃいました。しかも灯台に釣り人がいるところまで同じでした。

この奥南運河は、世界でも有数の海運会社だった山下汽船の創設者である山下亀三郎が資金援助し、1927年(昭和2年)に現在の運河に近いかたちで整備されたそうです。

奥南運河に架かる奥南橋は昭和52年9月に完成したことが分かります。

また、奥南橋には、ちゃんと「奥南航路」と表示もありました。

おいらの知っている限りでは、宇和島市には、細木運河、奥南運河、船越運河があるので、機会があれば船越運河もブログで紹介できればと思っています。

半島の突先にある大良鼻をぐるりと回るよりも奥南運河を渡ることでかなり時間が短縮されたでしょうから、船で海道を行き来していた時代には、重要な航路だったんだろうな~ってことを思いながら、橋から写真をパチリ。

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