清良神社

28日朝のニュースで、東京ゲームショウ2009が取り上げられており、その東京ゲームショウ2009にゲーム科学博物館が設置され、戦国武将人気を背景に戦国武将ゲームをはじめ、人気武将9人の甲冑が展示されたことを知りました。その中でインタビューでは暦女と思われる方が、戦国武将などを語っていました。
なるほど、
上杉謙信、直江兼続、織田信長、伊達政宗、真田幸村、片倉倉十郎などの戦国武将が人気となっているのか。
ふむふむ。。。
名を馳せた戦国武将たちではないか。

上杉謙信、直江兼続、織田信長、伊達政宗、真田幸村、片倉倉十郎。
ほほー。。。


!!!!


あれ?!

何かおかしいぞ。

そうです。
そうなんです。
我が三間町が誇る戦国武将、西園寺殿の旗下十四将の一人である土居清良が含まれていないという事実に、おいらは気がつきました。(おいら、さすがです。)

まぁ、これは、あれだ。本来、土居清良の専用ブースを設けるところを担当者の手違いにより間に合わなかったんだな。
担当は意外とおっちょこちょいな奴なんだな。仕方ない今回だけは許そう。
などと妄想を膨らませていると、
おいら、ふと、ある場所へ行ったことを思い出しました。
そう、宇和島市三間町土居中にある清良神社に行ったことを思い出したのです。
なので、今日は、清良神社についてちょっと書きたいと思います。

この清良神社に祀られている神様は、およそ400年程昔、三間大森城の城主として、土佐(高知県)や豊後(大分県)から侵略して来た軍勢を討ち破り、農民、農村に善政を行い、文武両道のお殿様として親しまれ、敬崇されている土居式部太輔清良という方です。
南予地方で人が神様となり、神社に祀られているのは、和霊神社(宇和島市、山家清兵衛)、安藤神社(吉田町、安藤儀太夫継明、武左衛門一揆に際し切腹した吉田藩家老)、と清良神社土居清良)だそうです。

清良神社1
宇和島自動車㈱の土居中バス停から東へ約50mの位置に、この清良神社はあります。

清良神社 参道
清良神社の参道
日頃の運動不足のせいか、階段上るのに疲れました。

清良神社2
清良神社
なんだか重々しく張り詰めていて、且つ清らかで侵しがたい雰囲気でした。

土居清良廟
土居清良廟

土居清良のことを知るには、「清良記」などを読むことをお勧めします。
「清良記」とは、およそ400年の昔、宮野下村(宇和島市三間町)の三島大明神の神主であった土居水也が著述した古文書だそうです。また、「清良記」全三十巻中7巻は農業の記事で日本最古の農書(親民鑑月集)とされています。
「清良記」は、戦国時代に、宇和郡三間大森城城主、土居式部太輔清良とその一族が、宇和郡の総大将、西園寺殿の旗下十四将の一人として、土佐の一条氏や長曽我部氏、および豊後の大友氏との戦いを交えた永禄、元亀、天正の頃(1558~1588)の記録で、主に軍記物語的に、土居一族の出自治乱興亡、栄枯盛衰が記されているものだそうです。

以上、三間米大好き、二名っ子でした。

引用・参考図書 「ふるさとの歴史 土居清良」 松浦郁郎著
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