宇和島城
心身のリフレッシュと運動不足解消を兼ねてお城山に行ってきました。

お城山の門をくぐって、登山道を登って行きます。

児童公園に着きました。子供のころはよくこの公園で遊びました。
桜(ソメイヨシノ)もつぼみがふくらんでいました。開花も近いです。

更に登って、天守閣に到着しました。
現存12天守の一つだけあって風格があります。

天守閣の近くでは寒桜が見頃を迎えていました。
数日前には季節外れの風雪にさらされていた姿がテレビ中継されていました。
一足早い花見を楽しんでいる人もいました。

天気も良くて眺望も最高!
こちらは、東側の眺めです。南予地方局の庁舎も見えます。

西側の眺めです。宇和島港の向こうには戎山や九島が見えます。

一足早い春を満喫して、宇和島城を後にしました。
GWにはお城まつりがあるそうなので、その時には天守閣の中にも入ってみようかな。

以上、こうちゃんたかちゃんでした。
【宇和島名物!!】牛鬼伝説の深淵に迫る・・! <2>
皆さん、こんにちは。ARSARです。
さて、宇和島名物「牛鬼」、後半戦と参りましょう。
|
8月26日の記事のコピペです、はい。
気付いたあなたは、「南予にきさいや」の大ファンです。(断言)
前半戦に引き続き、「牛鬼」の絵が出てきました。
この絵を見て、「ん?」とか、「あれっ?」とか思った方、いらっしゃいますか?
はい、この絵は「牛鬼」の絵ではなく、「牛鬼祭り」の絵です。
「練り歩いている牛鬼の足の数」÷2 =「牛鬼に扮している人の数」です。
面倒臭いので、数えてません。
足の数が分かった方、コメント欄に解答をお願いします。(笑)

こちら、宇和島市の道の駅「きさいや広場」に展示されている「牛鬼」です。
「双子ですか?」と聞きたくなるくらい、似てますねぇ。
ちなみに、8月26日の記事のコピペに登場する牛鬼の姿は、以下のとおりです。
|
鯨の体がこんなに毛深いかどうかは別として、伝承の姿をしっかりと受け継いでいるようです。
さて、ここまで読んで頂いた方々の頭の中には、こんな疑問が湧いたのではないかと思います。
Q.
宇和島の人々を苦しめていた「災厄」だった牛鬼が、現在、あちらこちらで祀られたり、宇和島祭りの主役になってたりするの??
A.
古来、日本には「退治した災厄を封印の意味を込めて神聖化する」という文化があり、牛鬼を守り神として祀る(→ 祭る)ことで、他の災厄を祓う存在としたわけです。
という理由です。聞かれもしないのに答えましたけど。(笑)
以上をもちまして、宇和島名物「牛鬼伝説の深淵に迫る・・!」シリーズを完結させて頂きます。
(おことわり)
今回の記事につきまして、「ブログの記事なのに、画像が少ない!(怒)」という苦情は、スルーしますので、悪しからずご了承下さい。(笑)
ARSARでした。
テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル : 地域情報
文明開化の象徴・擬洋風建築
サイクリングがてら「宇和島市立歴史資料館」に行きました。
行ってみると、何とも歴史を感じる建物が!

この建物は、明治17年(1884)9月、
宇和島市広小路に「宇和島警察署」として建てられたものです。
「擬洋風建築」という建築様式に分類され、
明治初期に日本の職人が西洋建築の技術を取り入れてできた様式だそうです。
また、歴史資料館の傍には、「樺崎砲台跡」もあります。


この砲台は、安政2年(1855)に宇和島の守りとして築造された砲台のあとです。
実戦に使われることはありませんでしたが、
イギリス軍艦に対して礼砲を打ったとの記録があるそうです。
幕末から明治期にかけての宇和島が、進取の気風に富み、
懸命に西洋技術を取り入れようとしていたことが感じられました。
歴史資料館の中にも歴史的な資料が展示されており、
入館は無料ですので、足を運んでみてはいかがでしょうか。
以上、【半兵衛】でした。
ブログランキングに参加しています。下のバナーを1日1回クリックしていただくとランキングが上がり励みになります・・・。

テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル : 地域情報
【宇和島名物!!】牛鬼伝説の深淵に迫る・・! <閑話休題>
前回(8月26日)、牛鬼についての記事を書きましたが、第2弾を書く前に、南予地域に伝わる妖怪をご紹介しようと思います。
心の準備はよろしいですか??
では、参りましょう・・。
(1) しらみゆうれん

北宇和郡に伝わる妖怪です。
俗に言う「海坊主」「舟幽霊」の南予バージョンといったところでしょうか。
この妖怪が現れた時、「バカ」と言うと、怒って櫓にすがり、船に乗っている人間を海に引きずり込む、と言われています。
悪口を言う相手は慎重に選びましょうね。(笑)
(2)雪婆(ゆきんば)

松野町・旧吉田町に伝わる妖怪です。
一本足の老婆の姿をしており、歩くと雪の上に一本足の足跡を残すと言われています。
子どもを攫うと言われているため、この妖怪が現れる時期(真冬?)には子どもを外出させないようにしていたそうです。
「雪女=美女」の方程式を、これでもかと言わんばかりに覆してくれてます。
昔話に出てくる美しい雪女・・、何処で人(?)生を誤ったのでしょうか・・?
(3) 濡れ女

宇和島市・大洲市に現れたとされる妖怪です。
全身ずぶ濡れの姿で現れ、人を見ると笑いかけてきて、人が笑い返すと一生付きまとうと言われています。
確かに笑ってますけど・・、こんな笑顔には恐怖で引きつった顔しか返せません・・。
不気味すぎるわ!!
(4)ジキトリ

宇和地方に伝わる怪異(怪奇現象)です。
俗に「餓鬼憑き」と呼ばれ、人間が餓鬼(常に餓えと渇きに苦しむ亡者)に取り憑かれ、激しい空腹感で身動きが取れなくなり、餓え死にしてしまう、というものです。
餓鬼憑きに取り憑かれた際には、わずかの食料でも口に入れると逃れることができます。
飽食の世の中ですが、食べ物を粗末にしないように心がけましょう。
あっ! 昨日の昼の弁当に入ってた切干し大根、残した・・。 憑かれませんよ~に!!
以上、夏の夜に見て頂きたい「南予地域の妖怪」をご紹介しました。
今夜、寝れそうですか・・・?(笑)
ARSARでした。m(_ _)m
テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル : 地域情報
【宇和島散歩】偉人の恋物語
突然ですが、


幕末の医師・西洋学者・軍政家で、明治維新十傑の一人と言われる
「大村益次郎(村田蔵六)」です。
長州藩出身の彼は、宇和島藩に招かれ、2年余り宇和島に住んでいました。
残念ながら立札だけではありますが、その住居跡が宇和島城下にはあります。

また、ここから少し離れた川の三角地帯には、シーボルトの娘「イネ」の屋敷跡があります。
(こちらも当時の屋敷は残っていませんが、三角屋敷の由縁たるその形は感じられます。)

二人は師弟関係にありました。
さらに、司馬遼太郎さんの小説「花神(かしん)」では、
お互いを慕いながらも別々の道を歩む(不器用な?)二人の姿が描かれています。
あくまで小説の中の話ではありますが、
近いようで確かに存在する屋敷間の距離が二人の切ない間柄を表しているのかなと、
歩く道すがら勝手に納得をしてしまいました...
実際に歴史の跡を歩いてみると、
歴史(小説)で知っていた話がより身近に感じられます。
皆さんも、「歴史の物語」に想いをはせながら、宇和島の街を歩いてみてはいかがでしょうか。
テーマ : 香川・愛媛・高知・徳島 - ジャンル : 地域情報